2005年06月26日

星陽中裏手

040825首塚.jpg

毎週日曜日に神戸新聞で連載されているコタニマサオさんの漫画で、今日教海寺の事が書いてありました。
コタニさんの漫画は毎週日曜に三木の歴史についての書いてある漫画で、最近は三木合戦の内容でした。
今日は秀吉が寺院を焼き払ったという内容でした。そこで、教海寺が出てきました。
そこで今日は、教海寺について私が知っている限りのことを書いてみます。

まぁだいたいは今日の新聞に載っていた事ぐらいしか知らないのですが、私の知っている内容はこうです。

三木合戦で、別所長治と羽柴秀吉が戦った。長治が篭城したので秀吉は兵糧攻めをした。
そして幾日が過ぎた。しかし食料が無くなってもいい頃なのだが、一向にその気配が無い。
不審に思った秀吉は三木城の辺りを調べた。
すると川から竹が流れてきた。不思議に思い竹の中を見てみると、なんと米が入っていた。
その竹を調べてみると、脇川の教海寺らしい。
秀吉は早速教海寺へ向かうと寺を焼き払い逃げる僧を追い、大柿(豊地)までやってきた。
僧を追い詰めると、秀吉はその僧に証文を書かせその首をはねた。

とまぁ以上です。

因みに僧に証文を書かせたとされる「証文坂」は今、星陽中学校の校舎と校庭の間にある坂らしいです。
その時秀吉が座ったとされる「太閤岩」は中学校の裏にある山(今はゴルフ場)のどこかにるらしいです。
そしてその首をまつってあるのが上の写真の首塚です。

これらの事は以前祖父に聞いた事で、その祖父が最近他界してしまったので、詳しく知ることが出来ません。
かなり残念です。まだまだ三木合戦の事を聞きたかったのですが。。。

そこで、誰かこの首塚について詳しい事を知っている方は居られないでしょうか?
もしいらっしゃったらこの記事にコメント、もしくは掲示板に書き込んでください。
首塚だけでなく三木合戦全体の事でもかまいません。お願いします。

写真は2004年8月25日に撮影したものです。
posted by 芹沢鴎 at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 城(歴史) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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